
京都大徳寺付近で産まれる。
1639年に御小姓として家光の側室、お万の方に仕え、その際に春日局の部屋子として家光に見初められ、家光の側室となる。
1646年、綱吉を産む。
家光が死ぬと落飾して大奥を離れ、筑波山知足院に入る。
四代将軍 家綱の死後、綱吉が将軍職に就くと江戸城三の丸へ入る。
1702年には女性最高位の従一位の官位と藤原光子という名前を賜る。
因みに、お玉(桂昌院)は、京の八百屋に生まれたが、家光の側室となり、また綱吉の生母となり豪華な輿に乗って大奥に入ったことから、彼女を「玉の輿」の語源とする説もある。



























